2010年01月24日

東洋一の海上王「岩崎弥太郎」

岩崎弥太郎は、父である岩崎弥次郎、母である岩崎美和の長男として高知県井ノ口村で生まれました。

岩崎弥太郎は地下浪人の息子として産まれましたが、大きくなるにつれて秀才角を出してきた様で、その頃の土佐藩主であった山内豊照に対して書を講じる等して褒美を貰う程だったといいます。この時弥太郎は14歳と言う幼さだったと言います。

安政元年に、弥太郎は江戸へ遊学する事になりますが、その時の志もとても大きく、地元の星神社の扉に大きく志を書いてから江戸の安積艮斉に遊学として入門したと言います。
しかしその翌年、父の岩崎弥次郎がお酒を飲んでいる席で喧嘩をした為、投獄されてしまいます。その事をきっかけにして弥太郎が地元に帰り免罪を激しく訴えた為に、弥太郎自身も投獄される事になりました。

その後、地元の井ノ口村を追放された後、吉田東洋と言う人と出会い、それをきっかけにして飛躍の道を歩むことになりました。

その後、後藤象二郎と言う人の下で、仕事のパートナーとして働く様になった弥太郎は、商才を発揮する事になり、長崎で設立された土佐商会でもその活躍は見事だった様です。

その後、土佐商会はつくも商会と名前を変え、それを基にして1873年三菱商会を設立する事になります。この三菱商会では、それ以前に坂本龍馬から得ていた示唆に基づいて海運業に着目する事になります。そこでも才覚を発揮するかのように、諸外国の汽船会社達と戦いをして、それを制していったと言います。その事から「東洋の海上王」とまで呼ばれる様になったといいます。

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2010年01月04日

岩崎弥太郎の生い立ち


岩崎弥太郎(1834?1885年)は現在の大企業、三菱グループの創始者で有名な人物です。三菱グループの創始者である事は知っていても、高知県安芸市出身で坂本龍馬と関係が有ったと言う事は意外にも知っている人はあまりいないのではないでしょうか。

その岩崎弥太郎の生誕の地である高知県安芸市には、生家が今でも大切に保存されていて一般公開もされているそうです。

その岩崎弥太郎ですが、1834年(天保5年)にその時は地下浪人であった岩崎弥次郎の長男として産まれました。弥太郎はその奇才ぶりを最大限に発揮していた様で、10数歳で漢詩を他人に献じたり、書を講じたりしていました。その秀才ぶりが第13代土佐藩主である山内豊照に認められたそうです。この時弥太郎はわずか14歳と言う幼さでした。

しかし、そんな秀才ぶりも何処へやら、幼い頃には畑などを荒らしたりして周囲を困らせるかなりの悪ガキであった様です。

そんな弥太郎がどう思いを巡らせていたのか、21歳の時に江戸に単身で遊学に行く事になりました。江戸で一生懸命勉学に励んでいた様ですが、1年経ったある日、自分の父親が投獄されている事、その理由が酒席での喧嘩が原因だったと言う事を知り、高知に帰り父親の免罪を訴えました。しかし逆にその事が原因で弥太郎自身も投獄されてしまい、村を追放されることになったのです。と言う様な波乱万丈な人生の幕開けが、岩崎弥太郎の生い立ちです。その後にも色々な業績を残す事になります。

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