2010年02月25日

土佐藩出身者で長崎で活躍をした岩崎弥太郎

岩崎弥太郎は今では誰もが知っている三菱グループの創始者ですが、あの三菱の菱形マークは、土佐藩山内家の門であった「三葉柏」と岩崎弥太郎家の家紋であった「三階菱」を組み合わせる事によって出来あがったマークです。岩崎弥太郎自身が考えたマークだと言われています。

土佐藩出身者で有名なのは坂本龍馬ですが、他にも先程ご紹介した三菱グループ創始者の岩崎弥太郎、大政奉還を現実のものとした後藤象二郎等がいます。この3人については皆土佐藩出身でありながら、長崎を中心に活躍した人物として今も語り継がれています。

坂本龍馬と岩崎弥太郎の出会いと言うのは、繋がりが後藤象二郎になるのですが、後藤象二郎の叔父に吉田東洋と言う人がいます。この吉田東洋が手掛けていた私塾で出会ったと言われています。この事をきっかけにして、途中色々あるとは言え、生涯親交が続いたそうです。

土佐藩出身の一人である後藤象二郎は、土佐藩主からの信頼も厚かったそうで、その為土佐藩の立て直しに奔走したそうです。そして「土佐商会」と言う会社を長崎と大阪に設け、後藤象二郎と岩崎弥太郎は土佐藩の資金調達の為に尽力を尽したと言われています。

その後、坂本龍馬率いる亀山社中との交流があり、岩崎弥太郎は海運業に着目する様になり、その後「三菱商会」を設立したと言われています。

この様に土佐藩出身で、長崎で活躍した人達は偉大なる功績を残していると言う事で、とても偉大なる人達だった事が伺えます。

posted by 岩崎弥太郎 at 03:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

大河ドラマ「龍馬伝」の岩崎弥太郎

2010年のNHK大河ドラマである「龍馬伝」は、福山雅治さんが演じる「坂本龍馬」が主人公になっていますが、この「坂本龍馬」の33年と言う短い生涯を、香川照之さん演じる「岩崎弥太郎」の視点から描いている作品になっています。

ドラマの内容ですが、岩崎弥太郎は三菱財閥の創始者であり、幕末時代屈指の経済人でもありました。同郷には、あの坂本龍馬がいましたが、いつも自分の前を歩いている坂本龍馬に、岩崎弥太郎が憧れていたと言う事は有名です。

しかしある日、土佐藩参政において師事していた吉田東洋が暗殺されました。この事をきっかけにして、岩崎弥太郎は坂本龍馬の事を憎む様になったと言います。

その後、弥太郎と龍馬の二人は長崎の地で再会を果たす事になります。二人は衝突を何回も繰り返しながら一緒に海援隊を盛り上げていったそうです。しかし坂本龍馬は暗殺される事になり、坂本龍馬の志でもあった「世界の海援隊を作る」は岩崎弥太郎に引き継がれ、その後の発展を遂げていく。と言う物語になっています。

出演するキャストも豪華で、龍馬の師である「勝海舟」役を武田鉄也さん、龍馬の妻「お龍」役を真木よう子さん、龍馬の姉「坂本乙女」役を寺島しのぶさん等と言った、豪華な顔触れになっています。

幕末の風雲児と呼ばれた坂本龍馬の生涯を、三菱グループの創始者である岩崎弥太郎の視点で描くと言う、面白い視点の大河ドラマは、今までにない様な感じの大河ドラマになっています。

posted by 岩崎弥太郎 at 03:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

岩崎弥太郎と渋沢栄一の戦い

渋沢栄一とは、日本の産業が発展する為、国民みんなが豊かになる為に尽力を注いだ人物です。関わった主な企業に、帝国ホテル、日本製紙、キリンビール、東洋紡績、東京海上保険会社等本当に有名な会社ばかり挙げられます。そんな渋沢栄一は「経営の神様」とまで言われていた人物です。

そんな渋沢栄一と岩崎弥太郎は生涯にわたって戦いを繰り広げたと言われています。

事の始まりは明治11年の8月、岩崎弥太郎が主宰した舟遊びに渋沢栄一が主賓として招かれた事に始まります。渋沢栄一が岩崎弥太郎の経営思想である三菱商事の社規を批判したそうです。

岩崎弥太郎は、起業家として有名で三菱商事も会社と言う組織体制を取っていました。しかし精神的な部分としては、組織体制を否定していたと言われています。対して渋沢栄一は、合本主義や経済道徳合一主義を取っていた事から、岩崎弥太郎の個人営利主義的な考えに同意する事が出来なかったそうです。

こう言ったやり取りが、舟遊び上で繰り広げられていたのですが、一応仲裁が入り万事休すと言った状態になったそうです。しかし岩崎弥太郎と渋沢栄一の間には深いヒビがこの時入ったと言います。

ここから戦いが始まるのですが、先ず仕掛けてきたのは岩崎弥太郎率いる三菱商会でした。渋沢栄一が率いる日本国郵便蒸気船会社を追い詰め、解散にまで追い込んだそうです。その後、三菱商会も大隈重信の失脚によって陰りが見え始めた所を、渋沢栄一が合本主義の下、共同運輸会社を創立して三菱を追い込んで行ったと言います。その為に三菱商会は窮地に立たされることになった事で一矢を報いたと言います。

最終的には、岩崎弥太郎が死去した後に、三菱と共同運輸が合同して日本郵船株式会社が設立されました。

posted by 岩崎弥太郎 at 23:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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