2010年03月26日

岩崎弥太郎が出世した理由


後藤象二郎の叔父である吉田東洋が手掛けていた私塾に、岩崎弥太郎も入塾していたといいます。ある一説によりますと、吉田東洋は甥である後藤象二郎に宿題を出したそうです。もちろん回答を書いて後藤象二郎は提出したのですが、その回答が余りにも見事だったそうで、不思議に思い後藤象二郎を問いただしたそうです。それで、岩崎弥太郎が代筆したのだと白状したといいます。この事をきっかけにして、吉田東洋は岩崎弥太郎に対して一目置いたのだと言う事です。

吉田東洋が手掛けていた小林塾では、身分など関係無く勉強したいと言う若者を受け入れていたそうで、ここで岩崎弥太郎が再び認められて世に出るきっかけになったのではないかと思います。

1858年に日米修好条約が調印され、安政の大獄が起こります。吉田東洋はこの時に土佐藩の政治に復帰する事になります。その時に土佐藩は藩財政危機の真っただ中にあり、その救済策として海外貿易を行って国内産業を盛んにしようと考え付きます。その調査をする為に調査団を作るのですが、その時に吉田東洋の推薦で岩崎弥太郎が入る事になりました。

その時に色々な仕事に従事する一方で、長崎にて海外事情もたくさん学んでいたと言われています。岩崎弥太郎は吉田東洋のお陰で、大いに出世した事が分かります。もちろん岩崎弥太郎も吉田東洋の事を尊敬していた事でしょう。

その後は、吉田東洋も暗殺され、藩費を浪費したとの責任問題も問われ、岩崎弥太郎自身も職を辞する事になりました。

posted by 岩崎弥太郎 at 22:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

岩崎弥太郎とボーナス

日本で初めてボーナスと思われる事があったのは江戸時代ではないかと言われています。江戸時代にお屋敷に奉公に来ていた人が、実家に帰る事を許されたのはお盆と年末だけだったようです。この時に奉公先の人が少しお小遣いを渡したり、着物を新しくしてあげたりしていた様です。これがボーナスの始まりだと言われていて、お盆と年末と言う事から年2回になのではないかと言われています。

それが「会社」と言う組織が出来てから初めて出されたボーナスと言うのは、岩崎弥太郎が創立させた三菱商会でした。

当時の平社員で月給12円位だった様ですが、ボーナス金額は上の人で5円、下の人で1円と言う金額だったので、今で言う月給の2ヶ月分と言う様な高額の金額では無く、微々たる金額だったと言う事になります。

このボーナスと同じ頃、年末に1年を通してより成績が良かった社員に対して、年末賞与を与えると言う事もされていたそうです。当時は「ボーナス」と言う言葉では無かったそうで、「ボーナス」と呼ばれる様になったのは大正時代だったそうです。それまでは色んな名前で呼ばれていたみたいです。

その後、お給料やボーナスの渡し方も現金から銀行振り込みに変わって行きました。これは、「三億円事件」がきっかけではないかと言われています。

社員に対して年2回でも感謝の気持ちを込めて、賞与を渡すと言う行為は、様々な会社に波及していて、今現在のボーナスがあるのも岩崎弥太郎のお陰ではないかと言えそうです。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

岩崎弥太郎と坂本龍馬

坂本龍馬は岩崎弥太郎が生まれた翌年に生まれています。岩崎弥太郎が極貧な家に生まれたのに対し、坂本龍馬の家は高知城下での郷士・御用商人と言う立場であった為、裕福な家に生まれました。

坂本龍馬が26歳の時に脱藩をするのですが、その後に師と仰ぐ事になる勝海舟と出会います。そして日本を改革しようと、洗濯しようと意を決する事になります。そして、勝海舟から紹介された西郷隆盛から指示を得る形で「亀山社中」を長崎に結成、薩摩藩や長州藩の為に色々奔走をしながら、薩長同盟をお膳立てし、幕末のヒーローと言われる様な活躍をしました。

坂本龍馬が後藤象二郎と出会って意気投合をした事から、岩崎弥太郎との接点も出て来るようになるのですが、坂本龍馬は脱藩に関する赦免状を中岡慎太郎の分と一緒に取得して亀山社中を海援隊としました。一方岩崎弥太郎は長崎商会で働いていて、後藤象二郎を援護し、土佐藩を経済危機から救う為に金策に走っていたと言います。その方法は蒸気船を購入したり、武器弾薬を購入したりしていたそうです。また龍馬率いる海援隊においても会計士として活動を支えていました。

龍馬は自由奔放に政治改革を進めていく、弥太郎は経済官僚として奔走していく。二人の活動はかなり違いましたが、日本全体または世界と常に意識をして活動をしていたのは、共通していたと言えます。その為に岩崎弥太郎は坂本龍馬に憧れを抱いていた様です。

似ている様で似ていない2人は、龍馬の死後、その意思を岩崎弥太郎が受け継いでいく事になります。
posted by 岩崎弥太郎 at 21:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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