2010年06月29日

岩崎弥太郎と福沢諭吉

誰でも知っている1万円札の顔、福沢諭吉が生まれたのは天保5年で、奇しくも岩崎弥太郎が生まれた次の日だったそうです。福沢諭吉は学問に長けていて、蘭学を学び、英語も学びました。その功績もあり、幕府の欧米使節として3度随行したと言います。また、西洋の制度だったり、理念だったりと言う事について本を書く事で紹介していったと言います。

その福沢諭吉が書いた著書『西洋事情』は、出版されるや否やベストセラーになった様ですが、その本への魅力に岩崎弥太郎は魅入られて福沢諭吉のファンになったのではないかと思います。

福沢諭吉は東京三田に慶応義塾を開設しました。そこで、先生として教鞭を取っていました。その頃岩崎弥太郎は大阪にて海運業を立ち上げ、つくも商会から三菱商会へと改名をし、慶応7年に東京へ本社を移転しました。

当時、海運業の大手は日本国郵便汽船会社と言う所で、その態度は余りにも大きかったそうです。しかし、事業の成功はお客様へのサービス次第と思っていた岩崎弥太郎は、東京に進出した際、店の正面におかめの顔をした看板を掲げたと言います。おかめというと、愛くるしい程の笑顔で見る物の心を和ませます。そのおかめの顔と同じ顔で接客をしろと社員に指導していたそうです。

そう言った状況を視察した福沢諭吉は、岩崎弥太郎は商売の本質を心得ていると言う事で感銘を受け、慶応義塾の塾生に語っていたそうです。

福沢諭吉と岩崎弥太郎はお互いに一目を置くと言う関係があったそうで、三菱の経営を近代化していく大きな役割を果たしていく事になっていったそうです。

posted by 岩崎弥太郎 at 23:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

岩崎家と郷士の株

岩崎弥太郎は、土佐国の地下浪人と言う身分の家に長男として、高知県井ノ口村(現在の安芸市)に生まれました。

岩崎家は元々土佐にいたのではないと言われています。甲斐源氏武田にある岩崎一族の末裔なのではないかとも言われていますが、その真偽は定かではありません。そんな岩崎家が土佐に移り住んだ時期は分かりませんが、土佐に移り住んだ際、安芸氏、長宗我部氏と言う様に色々な人の下に仕えていた様ですが、岩崎弥太郎が生まれる頃には「地下浪人」と言う身分に下がっていた様です。

地下浪人と言う身分が有る事さえ知らない人もいるでしょうが、地下浪人とは郷士の株を売った人の事を指しています。40年以上も郷士職に付いていた人に名付けられた呼び名の様で、郷士の株を売ってしまった人、最も最下位の武士と言う身分であると言えます。

そもそも「郷士」は半分農民、半分武士と言う身分になります。また「郷士の株」と言うのは、財政悪化した藩が臨時収入を得る為に、豪農や町人に対して名字帯刀を許してしまうと言う権利を与えると言う事です。

岩崎家は飢饉と一揆に苦しみ、曾祖父である岩崎弥次右門が郷士の株を売ったと言う事で、地下浪人と言う一番下の身分になってしまったと言う事です。こう言った理由から岩崎弥太郎は生まれた時から、一番下の身分で極貧と言う状況で暮らしていたという事です。

あの坂本龍馬の家も豪商から郷士になったと言う家柄に育ったと言われています。
posted by 岩崎弥太郎 at 21:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

岩崎家の母の偉大さ

岩崎弥太郎の妻になった喜勢は、結婚当初に送っていた極貧・どん底の生活を、裕福になっても決して忘れる事は無かったといいます。その為、どんな時でも姑である美和を立て、一歩下がる様な形で弥太郎を支え続けたと言います。

岩崎弥太郎の死後、弟である岩崎彌之助が弥太郎の遺言どおり三菱の社長となるのですが、その岩崎彌之助にとっても母美和は特別な存在であったといいます。その教えもあって、弥太郎の長男である久弥を三菱の総帥に上げる様に指導し、育成し、その一方で三菱一門をまとめ上げていたと言います。そして弥太郎の息子久弥が28歳になったとき、三菱商会の社長を譲ったそうです。

岩崎家の家系は凄い物にその後なっていった様で、先ず弥太郎の長女である春路が嫁いだのは加藤高明と言う男で、この男は三菱の社員だったと言います。その加藤高明は三菱グループから官界に行き、首相にまでなりました。また弥太郎の四女である雅子が嫁いだのは外交官であった幣原喜重郎と言う男で、この男もまた首相になったと言います。

岩崎家の家系から首相が2人も出ると言うのも、かなり凄い話ではないかと思います。しかしその時には母美和は既に亡くなっていたそうです。

美和は明治7年、東京に住まいを移しますが、その都度都度で色んな事を書き綴っていったと言います。弥太郎の死の直前の事、事業の事、家の事等々、あらゆる事だった様です。それは美和が死ぬ直前まで続いていたそうです。

美和は岩崎家にとっては、絶大なる威厳を持っている存在であり、美和が書いた手記は今でも大切に保管されているそうです。

posted by 岩崎弥太郎 at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。