2010年06月04日

岩崎家の母の偉大さ

岩崎弥太郎の妻になった喜勢は、結婚当初に送っていた極貧・どん底の生活を、裕福になっても決して忘れる事は無かったといいます。その為、どんな時でも姑である美和を立て、一歩下がる様な形で弥太郎を支え続けたと言います。

岩崎弥太郎の死後、弟である岩崎彌之助が弥太郎の遺言どおり三菱の社長となるのですが、その岩崎彌之助にとっても母美和は特別な存在であったといいます。その教えもあって、弥太郎の長男である久弥を三菱の総帥に上げる様に指導し、育成し、その一方で三菱一門をまとめ上げていたと言います。そして弥太郎の息子久弥が28歳になったとき、三菱商会の社長を譲ったそうです。

岩崎家の家系は凄い物にその後なっていった様で、先ず弥太郎の長女である春路が嫁いだのは加藤高明と言う男で、この男は三菱の社員だったと言います。その加藤高明は三菱グループから官界に行き、首相にまでなりました。また弥太郎の四女である雅子が嫁いだのは外交官であった幣原喜重郎と言う男で、この男もまた首相になったと言います。

岩崎家の家系から首相が2人も出ると言うのも、かなり凄い話ではないかと思います。しかしその時には母美和は既に亡くなっていたそうです。

美和は明治7年、東京に住まいを移しますが、その都度都度で色んな事を書き綴っていったと言います。弥太郎の死の直前の事、事業の事、家の事等々、あらゆる事だった様です。それは美和が死ぬ直前まで続いていたそうです。

美和は岩崎家にとっては、絶大なる威厳を持っている存在であり、美和が書いた手記は今でも大切に保管されているそうです。

posted by 岩崎弥太郎 at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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