2010年10月11日

岩崎弥太郎の思い

幕末の時代、土佐に生まれた一人のわんぱく坊主が、海を見ながら広い世界に思いをはせていた幼少時代。そんなわんぱく坊主の岩崎弥太郎が35歳になった時、つくも商会を大阪に経営を任される形で創設させ、たった5年と言う短い年月で「東洋の海運王」と呼ばれるまでになりました。その後、50歳までの10年間まっすぐに前を見続けた生涯を送ったのが岩崎弥太郎です。

岩崎弥太郎は、本当に立ち止まると言う事を知らなかった人物です。業績をあげ、色んな人からの妨害も受けながらも一歩も譲る事無く、自分の信念を貫き通した生涯であったと言えます。

東京の自宅にて病に倒れ、死を目の当たりにした弥太郎は、今までに出会ってきた多くの人達の事をきっと思い出していたのではないかと思います。師と仰いだ吉田東洋を始め、後藤象二郎、坂本龍馬、福沢諭吉、渋沢栄一、ジョン万次郎、等そうそうたる面々です。本当に自分の意思を貫き、波乱万丈に生き、そしてとても中身の濃い人生だったのではないでしょうか。

明治18年に50歳と言う若さで亡くなりましたが、その直前まで岩崎弥太郎の意識ははっきりしていたと言います。病気の為に激痛で苦しみながら三菱グループの為、後継者の事の遺言を残したそうです。

志半ばにして病に倒れた弥太郎の代わりに、その遺言どおり、弟である弥之助が三菱の後を引き継ぎ、その更に後を息子である久弥、小弥太等が引き継いでいきました。それが今の三菱グループの原点となっています。
posted by 岩崎弥太郎 at 13:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

岩崎弥太郎に影響を与えた人物

岩崎弥太郎に影響を与えた人物はたくさんいますが、その中の1人に「ジョン万次郎」が挙げられます。

そのジョン万次郎ですが、鎖国も開け、近代日本が開かれたといる時代に、日本と欧米との懸け橋となって多大なる業績を残した人物です。ジョン万次郎と言う人物がいる事は知っていても、どんな功績を残してきた人なのか知らない人も多いのではないでしょうか。ジョン万次郎の功績については、日本より逆にアメリカの方が評価が高い様です。

その証拠として、第30代アメリカ合衆国の大統領である「クーリッジ」は「ジョン万次郎がアメリカから日本に帰国した事、これはアメリカがアメリカ大使として日本に送りだしたのと同じ事だ」と言うように語っていたという事もありますし、アメリカが建国されて200年の記念の時に「海外からの米国訪問者展」と言うイベントが開かれたそうですが、その中にジョン万次郎が入っていたそうです。たった29人の中に入っているとは本当に評価が高かった事を考えさせられます。

かの有名な坂本龍馬も、ジョン万次郎の体験してきた事を聞き、外国に対して興味を持ち開眼していったと言われています。それを基にアメリカの生活事情、民主主義などの知識を用い、近代的な日本国を作ろうと目指していったと言われています。

また、ジョン万次郎の影響は坂本龍馬だけでは留まらず、板垣退助や岩崎弥太郎にまで与えたそうで、国際化時代を迎えうつ為に必要な人材だったのだと思います。

今、ジョン万次郎の銅像は足摺岬に立っています。その姿はアメリカのフェアヘーブンを見つめている様な思いをはせた風貌で立っています。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

西南戦争で莫大な利益を得る

明治10年に行われた西南戦争において、三菱は軍事輸送を担当した事から、莫大な利益を挙げたのではないかと言われていました。本当に莫大な費用だったかどうかは別として、当時、1年間にかかる東京都の予算ははるかに超えていた利益を得た事は確かだったようです。

岩崎弥太郎は、この戦争で得た利益を基に産業としての資本を形成していく事になります。また岩崎弥太郎個人の為に使った物としては、東京都内に屋敷をいくつか購入したと言う事です。

その屋敷とは、今で言う上野不忍池の近くに位置している所だった様です。新たに建てた訳では無く、高田藩榊原家の江戸屋敷として使用されていた所を購入しました。坪数は8500坪程、かなり大きい屋敷であった事は想像出来ると思います。この屋敷は徳川家康が腹心であった榊原康政に与えた物と言われています。

また、そのお屋敷の周りの土地も、岩崎弥太郎は買い上げたと言う事で、その母屋を立て直したと言います。それも倍近くにしたと言いますから、かなり大きい屋敷になったのでしょう。

岩崎弥太郎は、共同運輸と繰り広げていたビジネス戦争中にガンが発病していまい、倒れる事になります。東京の買い上げた屋敷で50年と言う、波乱万丈で短い生涯を終える事になりました。ただ、死ぬ直前まで指揮を執っていたと言う事ですから、根っからのビジネスマンになっていたのでしょう。

極限の貧乏から巨万の富を得るまで、自分の才覚でのし上がっていった岩崎弥太郎は、今でも根強く語り継がれていますし、これからも語り継がれていく事でしょう。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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