2010年08月14日

岩崎弥太郎の生家

三菱社の創業者である岩崎弥太郎は、高知県安芸市(当時は井ノ口村)で生まれ、幼少時代を送っていました。今は妙見山の所にある山麓へ続いている道すがら、生家が残っています。車1台がやっと通れる道の所にある、とても穏やかな雰囲気の所です。そんな所で岩崎弥太郎は生まれました。

岩崎家が安芸氏に家を構えたのは、弥太郎の曽祖父であった岩崎弥次右衛門が1795年に手に入れたものだったと言います。今現存している生家は、1795年当時の姿そのままだと言う事で、残っているのは凄い事だと思います。大体30坪程の土地に、平屋でかやぶきと言った佇まい、部屋も4畳半の部屋が3つ、8畳ほどの部屋が1つと言った感じで、決して広いとは言えない家でした。

また、土倉の所にある鬼がわらには岩崎家の家紋が彫られていて、それは三階菱と言う形でした。三階菱は菱形が鏡餅の様に3重に積み重なっている様な感じになっています。これが三菱マークの原型になっています。

岩崎弥太郎と言う人物を知る上で、生家を知っておくと言う事はとても大切な事だと思います。何しろ今や財閥とまでなっている三菱グループの創始者である、岩崎弥太郎の原点ですから。それと同時に、当時の暮らしぶりが分かる様なとても貴重な財産でもあります。

岩崎弥太郎の生家は、今の時代に見たとしても、周りがのどかだっていう事、家の雰囲気からして当時にタイムスリップしてしまう、とても穏やかな感覚になると思います。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

岩崎弥太郎が創立した三菱商業学校

明治11年には東京神田に三菱商業学校が設立されました。ここの教官人は殆ど福沢諭吉が設立した慶応義塾の門下生達で、理想に燃えていたと言います。

三菱商業学校では、予備科3年、本科2年と言う合計5年の学校で、教えている内容は英語、算術、簿記、漢学、作文、経済学(英語)、数学、歴史、地理、と言う様に普通の授業にプラスして商業や経営に必要な学問を教えていました。更に希望者には1年間のインターンシップが経験できたと言います。

また、三菱商業学校での生徒数は多い時で100名超える位で、今で言うビジネススクールと言った所だった様です。創立者の岩崎弥太郎の長男、弥太郎はこの時福沢諭吉が開設していた慶応義塾で学んでいましたが、岩崎弥太郎の考えで三菱商業学校の第一期生として入学しました。

慶応義塾と三菱商業高校の資金の差は歴然としていた様で、慶応義塾は資金繰りに困って政府に調達してくれるように掛け合っていたのに対して、三菱商業高校は政府からの補助(と言っても三菱にあった助成策によるもの)が有ったので、かなり三菱商業高校にお金をかけていたと言います。

三菱商業学校は優秀な学生を集め、教育陣も優秀な人材を集め、前途洋々の様な感じであったのですが、いつの頃からか自由民権思想普及の場となってしまい、ビジネス戦争に巻き込まれ三菱自体の資金繰りが苦しくなってきた事から、創立してたった6年で廃校と言う所にまで至ってしまったそうです。

岩崎弥太郎にとっては大きな挫折と言って良いでしょう。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

三菱商会の誕生

明治4年の頃、廃藩置県が行われ、岩崎弥太郎はこの時に土佐藩小参事と言う立場を失う事になりました。時を同じくして後藤象二郎、板垣退助に説得される様な形でつくも商会の経営を任される事になりました。これが岩崎弥太郎が実業家として始動する第一歩になりました。つくも商会の経営を行うと決めたあたりから、弥太郎は士官を目指す事を諦め、起業家として生きる決意を固めたと言います。

三菱商会が生まれた原点は、岩崎弥太郎が譲り受けた「つくも商会」になります。

岩崎弥太郎はとても野心家で、気性の激しい性格だったと言います。幹部達も弥太郎の顔色を伺いながら仕事をしていたそうで、それを見ていた弥太郎はとてもまどろっこしくなり、独裁体制を築き上げたそうです。弥太郎の独裁体制に入った時に、社名も「三菱商会」と改め野望のごとく突き進む事になりました。

この頃、弥太郎の弟である弥之助が留学先から帰国した事で、三菱商会の体制は万全を迎えます。明治7年、三菱商会は東京日本橋に本店を移し、名前も三菱商会から三菱蒸気船会社として新たに指導しました。この時に弥太郎の呼び方も当時の「旦那」と言う呼び方から「社長」と言う呼び方に変わったそうです。

岩崎弥太郎の思いとしては、この事業が成功するか否かは、お客様に対するサービス次第なのでは?と言う思いが有ったと言います。しかし、社員はほとんど下級でも武士出身の為に人に対して頭を下げると言う事が出来ないでいました。そんな武士のプライドを捨てられない社員達に、笑顔で頭を下げる様に矯正する事がとても大変だったらしいです。
posted by 岩崎弥太郎 at 23:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。