2010年06月14日

岩崎家と郷士の株

岩崎弥太郎は、土佐国の地下浪人と言う身分の家に長男として、高知県井ノ口村(現在の安芸市)に生まれました。

岩崎家は元々土佐にいたのではないと言われています。甲斐源氏武田にある岩崎一族の末裔なのではないかとも言われていますが、その真偽は定かではありません。そんな岩崎家が土佐に移り住んだ時期は分かりませんが、土佐に移り住んだ際、安芸氏、長宗我部氏と言う様に色々な人の下に仕えていた様ですが、岩崎弥太郎が生まれる頃には「地下浪人」と言う身分に下がっていた様です。

地下浪人と言う身分が有る事さえ知らない人もいるでしょうが、地下浪人とは郷士の株を売った人の事を指しています。40年以上も郷士職に付いていた人に名付けられた呼び名の様で、郷士の株を売ってしまった人、最も最下位の武士と言う身分であると言えます。

そもそも「郷士」は半分農民、半分武士と言う身分になります。また「郷士の株」と言うのは、財政悪化した藩が臨時収入を得る為に、豪農や町人に対して名字帯刀を許してしまうと言う権利を与えると言う事です。

岩崎家は飢饉と一揆に苦しみ、曾祖父である岩崎弥次右門が郷士の株を売ったと言う事で、地下浪人と言う一番下の身分になってしまったと言う事です。こう言った理由から岩崎弥太郎は生まれた時から、一番下の身分で極貧と言う状況で暮らしていたという事です。

あの坂本龍馬の家も豪商から郷士になったと言う家柄に育ったと言われています。
posted by 岩崎弥太郎 at 21:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

岩崎家の母の偉大さ

岩崎弥太郎の妻になった喜勢は、結婚当初に送っていた極貧・どん底の生活を、裕福になっても決して忘れる事は無かったといいます。その為、どんな時でも姑である美和を立て、一歩下がる様な形で弥太郎を支え続けたと言います。

岩崎弥太郎の死後、弟である岩崎彌之助が弥太郎の遺言どおり三菱の社長となるのですが、その岩崎彌之助にとっても母美和は特別な存在であったといいます。その教えもあって、弥太郎の長男である久弥を三菱の総帥に上げる様に指導し、育成し、その一方で三菱一門をまとめ上げていたと言います。そして弥太郎の息子久弥が28歳になったとき、三菱商会の社長を譲ったそうです。

岩崎家の家系は凄い物にその後なっていった様で、先ず弥太郎の長女である春路が嫁いだのは加藤高明と言う男で、この男は三菱の社員だったと言います。その加藤高明は三菱グループから官界に行き、首相にまでなりました。また弥太郎の四女である雅子が嫁いだのは外交官であった幣原喜重郎と言う男で、この男もまた首相になったと言います。

岩崎家の家系から首相が2人も出ると言うのも、かなり凄い話ではないかと思います。しかしその時には母美和は既に亡くなっていたそうです。

美和は明治7年、東京に住まいを移しますが、その都度都度で色んな事を書き綴っていったと言います。弥太郎の死の直前の事、事業の事、家の事等々、あらゆる事だった様です。それは美和が死ぬ直前まで続いていたそうです。

美和は岩崎家にとっては、絶大なる威厳を持っている存在であり、美和が書いた手記は今でも大切に保管されているそうです。

posted by 岩崎弥太郎 at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

岩崎家の子孫達

岩崎弥太郎は、妻である喜勢夫人との間に、1男2女を設けました。長女、春路は内閣総理大臣にまでなった加藤高明と言う人の妻になりました。他に、第3代三菱の総帥となった久弥、二女である磯路がいます。また岩崎弥太郎は養子も1人迎え入れ、名を昌作と言いました。昌作は実業化であった郷誠之助の4男であったと言います。岩崎家の養子が決まると名前を豊弥に変えました。この豊弥は後に岩崎家から分家する事になります。

ちなみにですが、豊弥の姉である幸子が嫁いだ先は川崎財閥であった為、岩崎家は郷家を介す事で、川崎財閥と姻戚関係を結ぶ事になりました。

更にですが、岩崎家は養子の豊弥を通じて皇室と繋がる事になるのですが、これは、豊弥の長女が昭和天皇の侍従長を長い間努めていた事に始まります。そこから入江相政と言うエッセイストと結婚をしました。その旦那である入江の姉は高木正得子爵と言う所に嫁いでいたのですが、娘(二女)が三笠宮崇仁親王と結婚したのです。少し複雑で血縁は全然ないのですが、岩崎家、入江家、高木家と言う様に介していき皇室と繋がる事になりました。とは言ってもかなり遠い関係と言う事になります。

岩崎弥太郎の二女である、磯路は木内重四郎と言う京都府知事をした事がある人と結婚をし、子供を5人設けています。

磯路の次男は木内信胤と言う経済評論家になりました。磯路の二女は渋沢栄一の孫と結婚しました。渋沢栄一の孫は大蔵大臣や、第一銀行の副頭取まで担った人です。

この他にも、岩崎弥太郎の子孫達は、物凄い人物達との交流を深め、姻戚関係になって行ったと言いますから、物凄い家系図になっていると思います。

posted by 岩崎弥太郎 at 23:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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