2010年05月24日

岩崎弥太郎のお母さん

明治9年頃、岩崎弥太郎の母岩崎美和は、長女である春治の所(大阪)へ暫く身を寄せていた事があると言います。その頃は毎日の様に弥太郎から母へ手紙を送っていたそうです。内容はとにかく「無事で」「早く帰ってきて」と言う様な、母親に対する愛情が見える内容だった様です。

明治9年頃と言うと、岩崎弥太郎にとっては「郵便汽船三菱会社」を作り(日本国郵便汽船会社を吸収すると言う形で作りました。)、政府の助成策を享受する等している頃で、勢いが止まらなかった時期になります。三菱商会の仕事で昼間は忙しく奮闘し、夜は人脈作りの為なのか、毎晩どんちゃん騒ぎをしていた様だったのに、マメに母親に手紙を書いていた事は本当にビックリです。

岩崎弥太郎の母、美和は元々町医者の娘として産まれました。それが土佐の井ノ口村の地下浪人であった岩崎彌次郎の所に嫁ぐ事になる訳ですが、それは貧しい暮らしだった様です。それでも誇りを失わずに常に凛とした態度でいたそうです。弥太郎を始めとした子供たちにとって、美和はとても大きな影響力を持っていて、それは生涯変わらなかったとか。

岩崎弥太郎が海運事業に乗り出し、忙しい毎日を送っていた頃、母は弥太郎を厳しく諌めたり、励ましてきたりして常に心に安定をもたらす存在としていた様です。

また、美和は岩崎家の家訓を残していた様ですが、その中に「貧しい時代の頃を忘れるな」と言う様な内容の家訓がありました。これは弥太郎に対する戒めの言葉だったかもしれません。この言葉を思い出すたびに弥太郎は身が引き締まる思いをしたといいます。

posted by 岩崎弥太郎 at 23:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

岩崎久弥は聞き上手

岩崎久弥はとても聞き上手であったと言います。人の話を相槌を打って良く聞いてくれて、相手が信頼出来る人だと判断すると、話の方向性のみ確認をして、後はその人に任せたと言います。

岩崎久弥は、人を信頼する事に長け、人に信頼もされていた人物で、人の上に立つ人間としてはとても大切な要素を持ち合わせていた人だった様です。

岩崎弥之助が、岩崎弥太郎の遺言により久弥を三菱社の総帥にしますが、その時期はとても速く、久弥が弱冠28歳と言う事でした。久弥の人柄もそうですが、岩崎弥太郎が生存していた時から、尽力を尽してくれた幹部達がいてくれたからこその判断でもあった様です。

そんな久弥が50歳を迎えた頃、当時36歳であった岩崎弥之助の息子である小弥太に三菱社の社長の座を譲ったのは余りにも唐突な出来事であった様です。三菱社の事業は順調に進んでおり、益々の活躍が期待されていたと言います。それも社長である久弥、副社長である小弥太のコンビネーションがあってこそだったと言われています。ですから、まだ50歳の若さで社長を交代する必要性は無かったのではないでしょうか。

しかし、ここが久弥の凄い所だった様です。こう言う好調の時だからこそ後継者を譲ると言う事が人を信頼している証だったのでしょう。小弥太に社長を譲ってからは、小弥太を信頼していたので、経営に関して口をはさむ事は決してしなかったそうです。

久弥は引退後、小岩井農場の事業を楽しんで行う等して、楽しく社会貢献しながら余生を過ごしたと言います。


posted by 岩崎弥太郎 at 03:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

岩崎弥太郎の人柄

岩崎弥太郎は三菱グループの創立者と言う事もあって、多くの方は財閥の出で裕福だったのではと思う人も多いでしょう。しかし、岩崎弥太郎は恵まれた環境の下で幼少時代を送った訳ではありませんでした。

岩崎家の身分は「地下浪人」と言う身分でした。「地下浪人」とは地下に投獄されていると言う意味ではなく、郷士の株を売って居ついてしまう浪人の事を指していたそうで、かなり身分は低かったそうです。ですから、岩崎弥太郎の幼少時代と言うのは、本当に極貧生活で苦しかったと言っても良いと思います。

しかし、岩崎弥太郎は才覚を発揮し、起業家として成功までした人です。何故ここまで出世する事が出来たのでしょうか。岩崎弥太郎は秀才とまで言われ、当時の土佐藩主に褒められた経緯もあります。その才能を生かして勉学に勤しんだと言います。その後江戸に遊学に出向く事になるのですが、その前に地元の神社に参拝をして、そこの扉に「後日 英名ヲ天下ニ轟カザレバ 再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と書き、幼いながらにもその心に大志を抱いた様です。それが多いなる野望に繋がったのでしょう。

今でも岩崎弥太郎の生家が残されていますが、その庭石は日本列島を模って並べているのではないかと言われていて、幼少の頃から日本全土を思って野望を抱いていたのかもしれません。その極貧時代を送った経験が、将来「東洋の海上王」と呼ばれるようになるまで上り詰める引き金になったのかもしれません。

posted by 岩崎弥太郎 at 23:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。